プロ野球歴代選手名鑑

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舩木聖士(阪神/ロッテ)

舩木 聖士

ふなき・さとし
生年月日:1973年8月26日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:174cm/86kg
ポジション:投手
出身  :広島県
ドラフト:1995年1位
経歴  :尾道商業高校-NKK-阪神タイガース(1996~2002)-千葉ロッテマリーンズ(2003~2004)
球種  :ストレート、スライダー、シュート

選手概要

怪我に苦しめられたドラフト1位右腕。

高校時代は1年先輩に山内泰幸がいたため控え投手。山内が卒業した3年生の時にチャンスが回ってきたが、右肩後背筋を痛めたために2番手投手止まりだった。

しかし、社会人のNKKへ進むと、1993年から3年連続で都市対抗へ出場。1995年にはチームを準優勝へ導き、久慈賞に輝いた。さらに同年9月に行われたアジア野球選手権大会の日本代表にも選ばれている。

この活躍から社会人のエースと呼ばれ、1995年のドラフトで阪神から1位指名(逆指名)を受けて入団。

140kmを超えるストレートとスライダーが武器という前評判で、即戦力として期待された。

阪神時代

1年目の1996年、開幕3戦目で早速先発デビューし、148kmを計測して話題に。だが、この日は9回1/3を投げて自責点2と好投したものの、打線の援護がなく負け投手となってしまった。

同年は同じように援護に恵まれない試合が多々あり、20試合を投げて6勝9敗、防御率4.49という成績。さらに5月には右肘を痛め、7月まで離脱する不運にも見舞われた。

2年目の1997年は肘を痛めた影響か球のスピードが落ち、24試合、1勝8敗、防御率4.84と成績も低下。

3年目の1998年はさらに成績が落ち、10試合、0勝2敗、防御率6.84という成績で、たびたび腰痛などによる故障離脱があった。

4年目の1999年は投げ方をスリークォーターに変えたところ、18試合、2勝5敗、防御率3.86と少し復調。しかし、オフに右肘を手術している辺り、やはり万全な状態では投げられていなかったようだ。

5年目の2000年も足の肉離れなどがあり、1試合しか投げられず(0勝0敗、防御率27.00)。

翌2001年も9試合、0勝0敗、防御率6.62、翌2002年も2試合、0勝0敗、防御率18.00と成績を残せず、同年オフに戦力外に。

ロッテ時代

ロッテへテスト入団して迎えた翌2003年は、開幕一軍入り。145kmを投げるなど復調したかに見えたが、16試合に登板し、0勝0敗、防御率6.23という成績に終わった。同年は26回を投げ、与四球20とコントロールに苦しんだようだ。

翌2004年は1試合投げて0勝0敗、防御率18.00。二軍では31試合を投げ、3勝3敗1セーブ、防御率4.91という成績で、同年に戦力外となった。

ルーキーイヤー時の期待は大きかっただけに、怪我に苦しめられたことが残念。また、阪神時代は途中からスライダーの他にシュートも投げるようになった。

引退後は尼崎市にあるスポーツDEPOで、野球アドバイザリースタッフとして勤務しているようだ。

 

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【1995年 阪神ドラフト指名選手】
1位:舩木聖士 2位:中ノ瀬幸泰 3位:林純次 4位:曽我部直樹