プロ野球歴代選手名鑑

歴代のプロ野球選手を紹介するブログです

高月敏文(広島)

高月 敏文

たかつき・としふみ
生年月日:1952年11月2日
投打  :左投げ左打ち
身長/体重:175cm/76kg
ポジション:内野手
出身  :山口県
ドラフト:1975年6位
経歴  :宇部商業高校-東洋紡岩国-広島東洋カープ(1976~1981)

選手概要

左投げ左打ちの一塁手。

宇部商業高校時代は、2年夏に甲子園へ出場。1回戦で取手高校に敗退。この時の1年先輩に有田修三がいた。

卒業後は東洋紡岩国へ入社。

1975年にドラフト6位で広島へ入団。パンチ力があるという前評判だった。

プロ1年目~引退まで

1年目の1976年は6試合に出場。打率.364、1本、2打点を記録した。二軍では5本塁打をマーク。

2年目の1977年は10試合に出場。打率.125、1本、2打点を記録した。

3年目の1978年は11試合に出場。打率.182、0本、0打点を記録した。二軍では58試合に出場し、規定打席に到達。打率.309、2本、24打点を記録した。

4年目の1979年は一軍出場なし。二軍では47試合に出場。打率.311、5本、32打点を記録した。

5年目の1980年は13試合に出場。打率.154、0本、1打点を記録した。この1打点は8月16日の大洋戦で記録したもので、これがサヨナラヒットだった。二軍では44試合に出場。打率.219、3本、13打点を記録した。

6年目の1981年は一軍出場なし。二軍成績は不明。

同年限りで選手を辞め、球団職員へ転身。

その後、2015年NPBアワードで由宇練習場長として長年に渡りファーム運営に貢献したとして功労賞を受賞した。

プロでは「パワーはあるが、変化球に弱い」「守備が課題」と言われていた。

余談だが、ポパイのものまねが得意だったため「ポパイ」というあだ名で呼ばれていた。

 

野手「た」へ

1981年退団選手一覧へ

【1975年 広島ドラフト指名選手】
1位:北別府学
2位:山根和夫
3位:長内孝
4位:小林誠二
5位:小川良一(入団拒否)
6位:高月敏文
ドラフト外:松下建夫吉岡厚司