プロ野球歴代選手名鑑

歴代のプロ野球選手を紹介するブログです

芦沢真矢(ヤクルト)

芦沢 真矢(芦沢 優)

あしざわ・しんや(あしざわ・まさる)
生年月日:1958年1月1日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:179cm/80kg
ポジション:捕手
出身  :山梨県
ドラフト:1975年5位
経歴  :巨摩高校-ヤクルトスワローズ(1976~1988)

選手概要

選手時代は「芦沢優」引退後は「芦沢真矢」の名前で野球界に長く携わっている捕手。

中学生時代は中堅手としてプレー。

巨摩高校時代は二塁手だったが、正捕手が怪我をしたために捕手へ転向。3年夏に甲子園へ出場。2回戦で三重高校に敗退。

1975年にドラフト5位でヤクルトへ入団。リードと肩がよく、打撃センスもあるという前評判だった。

プロ1年目~5年目

1年目の1976年は二軍で10試合に出場。打率.111、0本を記録した。

2年目の1977年は二軍で36試合に出場。打率.267、1本、11打点を記録した。

3年目の1978年に一軍デビュー。17試合に出場し、打率.120、0本、0打点を記録した。二軍では8試合に出場。打率.200、0本、0打点を記録した。

4年目の1979年は6試合に出場。打率.000、0本、0打点を記録した。二軍では16試合に出場。打率.289、3本、9打点を記録した。

5年目の1980年は17試合に出場。打率.211、0本、0打点を記録した。二軍では12試合に出場。打率.097、0本、2打点を記録した。

プロ6年目~10年目

6年目の1981年は81試合と出番増。打率.235、3本、21打点を記録した。同年は大矢明彦と八重樫幸雄が成績を落としたために、出場が増えたようだ。また、秋季練習中に顎を骨折した。

7年目の1982年は31試合に出場。打率.111、1本、4打点と成績を落とした。

8年目の1983年は13試合に出場。打率.286、0本、2打点を記録した。

9年目の1984年は37試合に出場。打率.158、0本、2打点を記録した。

10年目の1985年は36試合に出場。打率.297、1本、7打点を記録した。

プロ11年目~引退まで

前年オフに大矢が引退し、出番が増えるかと思われた翌1986年は、31試合に出場。打率.200、0本、1打点を記録した。同年は主に八重樫がスタメンとなり、控えの座を秦真司、君波隆祥と争った。

翌1987年は11試合に出場。打率.211、0本、1打点を記録した。

翌1988年は一軍出場なし。二軍では45試合に出場。打率.229、1本、13打点を記録した。

同年限りで現役を引退。

引退後

引退後は広島のブルペン捕手に転身。翌1989年~1990年まで務めた。

その後は1991年に広島の一軍バッテリーコーチ補佐、1992年~1993年にコーチ補佐兼ブルペン捕手、1994年にコーチ補佐、1995年に一軍ブルペン担当コーチ、1996年~1997年に一軍ブルペンコーチを務めた。

翌1998年~2000年は台湾・台中金剛でコーチを務めた。

2005年~2006年は香川オリーブガイナーズで監督を務めた。

2008年~2010年は新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの監督を務めた。

2011年は横浜の一軍ブルペンコーチを務めた。

2015年からは啓明学園高校の野球部監督を務めている。

余談だがプロ入団時の契約金は800万円で、全額貯金していた。また、試合前に胃腸薬を飲むというルーティンがあった。

小説家の沙川りさは娘。

 

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【1975年 ヤクルトドラフト指名選手】
1位:杉村繁
2位:田村忠義(入団拒否)
3位:寒川浩司
4位:近沢英二
5位:芦沢優
6位:浜師勝彦(入団拒否)