プロ野球歴代選手名鑑

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河野友軌(横浜)

河野 友軌

こうの・ゆうき
生年月日:1980年11月1日
投打  :右投げ左打ち
身長/体重:176cm/75kg
ポジション:外野手
出身  :埼玉県
ドラフト:2002年8位
経歴  :狭山清陵高校-法政大学-横浜ベイスターズ(2003~2008)

選手概要

巧打の外野手。

高校時代は3年夏に県大会4回戦で、聖望学園に敗れた。

法政大学へ進学後はシュアな打撃で頭角を現し、3年春にベストナインを獲得。第1回世界大学野球選手権日本代表にも選ばれた。また、4年秋には和田毅からサヨナラ本塁打を放ったことも。

2002年に横浜から8位指名を受け、入団。守備に目立った点がなく、脚もそこそこ速いが飛び抜けた俊足というわけでもなく、アピールポイントが打しかなかったことが、下位指名の理由だったかもしれない。

1年目の2003年は、5試合、5打席だったが、打率.400、0本、0打点を記録。ちなみに二軍では68試合、打率.251、4本、28打点、4盗塁だった。

2年目の2004年はオープン戦で打率.444と大活躍。開幕一軍入りを果たし、シーズンでも30試合と出場数を増やしたが、打率.250、0本、0打点に終わった。二軍では45試合、打率.274、1本、17打点、3盗塁という成績。

3年目の2005年は3試合に出場し、打率.000、0本、0打点と、安打を放つことが出来ず。二軍では規定打席に到達し、打率.305、5本、28打点、9盗塁を記録したが、チャンスがなかった。

4年目の2006年も、二軍では51試合、打率.302、3本、19打点、2盗塁と結果を残したが、一軍では13試合、打率.125、0本、1打点に終わった。

すると5年目の2007年は、二軍でも86試合、打率.222、4本、26打点、6盗塁と成績低下。一軍出場もなかった。また、同年は出場機会を増やすためか、一塁手としても守備に就いている。

翌2008年は二軍で54試合、打率.172、0本、8打点、2盗塁と極度の不振に陥り、オフに戦力外となった。その後トライアウトを受けるも獲得を表明する球団はなく、引退を表明。

2004年にオープン戦で覚醒したときは、レギュラー奪取なるかと思われたが。もう少し本塁打を放つパワーや、二桁盗塁を記録できる脚力があれば、出番も増えていたかもしれない。

引退後はさいたま市のバッティングセンターで勤務し、同センターの野球塾で指導を行っているようだ。

 

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