プロ野球歴代選手名鑑

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中島俊哉(オリックス/楽天)

中島 俊哉

なかしま・としや
生年月日:1980年6月10日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:180cm/80kg
ポジション:外野手
出身  :福岡県
ドラフト:2002年8位
経歴  :福岡工業大学附属高校-九州国際大学-オリックスブルーウェーブ(2003~2004)-東北楽天ゴールデンイーグルス(2005~2014)

選手概要

左殺しとして活躍した外野手。

高校では、2年生の時に一塁手として甲子園へ出場。卒業後は九州国際大学へ進学し、4番打者として通算12本塁打を記録した。

2002年のドラフトでオリックスから8位指名を受けて入団。この時期にオリックスが行っていた、いわゆる「契約金0円選手」の一人で、その名のとおり契約金が0円だった。

1年目~5年目

1年目の2003年は二軍で54試合に出場し、打率.311、4本、22打点と好成績を記録。フレッシュオールスターにも出場したが、8月に左膝靭帯を断裂してしまい、以降はリハビリ生活となった。

2年目の2004年は、6試合で打率.100、0本、0打点だったが、一軍戦に出場。二軍では規定打席に到達しており、74試合、打率.243、10本、32打点という成績だった。

同年オフに球団合併による分配ドラフトが行われ、楽天へ移籍。

球団初年度ということもあり、出番も増えるかと思われたが、3年目の2005年は一軍出場なし。二軍でも50試合、打率.250、2本、12打点という成績に留まった。

4年目の2006年も二軍で81試合、打率.246、5本、32打点という成績で、一軍出場はなし。

5年目の2007年はひさびさに一軍の試合に出場。8試合ではあったが、打率.400、0本、2打点を記録した。ちなみに二軍では59試合で、打率.276、10本、32打点、8盗塁という成績だった。

6年目のブレイク~引退まで

6年目の2008年は、81試合に出場。打率.315、5本、25打点と好成績を記録した。

同年は相手先発が左投手の時にスタメン出場することが多く、そこで結果を残し、左殺しとして名前を売ることに成功。

翌2009年は骨折による離脱があり、47試合と出場数を減らしたが、左投手を相手にした際は3割を超える打率を残した(シーズン成績は打率.279、1本、8打点)。

翌2010年は春季キャンプで怪我をして出遅れ。これが響き、4試合、打率.143、0本、0打点の成績に終わった。

さらに翌2011年も春先不調で、5月には脇腹の肉離れにより二軍落ち。復帰後も不調が続き、43試合、打率.194、2本、6打点の成績に終わった。

翌2012年は、58試合、打率.250、0本、6打点と打率を向上させた。また、5月30日の巨人戦では、9回2死まで完全試合を続けていた杉内俊哉から四球を選び、大記録を阻止する場面も。

翌2013年は45試合に出場も、打率.232、1本、3打点という成績だった。

翌2014年は4試合の出場に終わり、打率.111、0本、0打点と結果を残せず。オフに戦力外となり、引退を表明した。

引退後は楽天の球団職員に就任。

余談だが、あだ名が「シャーパー」というものだった。これは本人が「シャープにコンパクトに」を表す意味で発言した言葉で、どういういきさつか、そのままあだ名として定着。本人曰く「地元の学校では『シャープにコンパクトに』をこう言っていた」とのこと。

 

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