プロ野球歴代選手名鑑

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本田明浩(ダイエー)

本田 明浩

ほんだ・あきひろ
生年月日:1967年8月18日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:176cm/73kg
ポジション:捕手/内野手/外野手
出身  :兵庫県
ドラフト:1991年6位
経歴  :社高校-新日本製鐵大分-福岡ダイエーホークス(1992~2000)

※一軍出場なし

選手概要

内野も外野も守れるユーティリティ捕手。

高校では目立った実績はないが、最高で県大会ベスト8まで進出。

卒業は新日本製鐵大分へ進み、1990年、1991年に都市対抗へ出場した。

1991年のドラフトで6位指名を受け、ダイエーへ入団。「遠投120メートルの強肩」というのが前評判だった。しかし、同時に打撃面が課題とも言われており、実際、社会人時代は主に9番を打っていたようだ。

1年目の1992年は二軍で36試合に出場し、打率.246、0本、3打点を記録。捕手として13試合、外野手として19試合、守備に就いた。

2年目の1993年は二軍で68試合と出番増。打率.241、1本、12打点を記録した。

そろそろ一軍へ上がりたい翌1994年だったが、二軍で38試合に出場したのみ。打撃成績も打率.157、1本、6打点と前年より下がってしまった。

同年は捕手として15試合、二塁手として12試合、外野手として2試合に出場しており、起用の幅を広げている。

翌1995年は二軍で56試合に出場し、打率.279、3本、20打点を記録するも一軍出場なし。

翌1996年は二軍で44試合に出場し、打率.219、1本、7打点を記録。同年も捕手だけでなく、内外野も守っている。

翌1997年は二軍で71試合と出番を増やし、打率.300、1本、15打点と好成績を残したが、一軍出場はならなかった。

翌1998年は二軍で77試合、打率.263、2本、20打点を記録。この年からは、球団から若手捕手の教育係としての期待もかけられていたようだ。

翌1999年は二軍で44試合に出場し、打率.136、1本、5打点と絶不調に。オフの契約更改では引退を伝えたが、これはのちに撤回している。

しかし翌2000年も二軍で36試合、打率.200、0本、2打点という結果で、オフに退団。

翌年からは阪神のブルペン捕手へ転身したが、どうやら翌2001年だけは支配下登録されていたようだ。この辺り、なにか事情があったか。

2002年以降は支配下登録されず、一スタッフとしてブルペン捕手を務めたが、2018年に退団。2019年に高知ファイティングドッグスでコーチを務めたが、こちらも1年限りで退団している。

 

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