プロ野球歴代選手名鑑

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高島覚(中日/ダイエー)

高島 覚

たかしま・さとる
生年月日:1965年1月7日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:180cm/74kg
ポジション:投手
出身  :岩手県
ドラフト:1987年ドラフト外
経歴  :一関商工高校-新日本製鐵釜石-中日ドラゴンズ(1988~1990途)-福岡ダイエーホークス(1990途~1992)
球種  :ストレート、フォーク

選手概要

高校時代は2年生のときに県大会決勝まで進むも、甲子園出場はなし。

卒業後は社会人の新日本製鐵釜石へ入団し、都市対抗に出場するなどして経験を積んだ。

1987年にドラフト外で中日へ入団。140km台のストレートとフォークが武器という前評判で「1日も早く一軍へ上がりたい」と目標を語った。

その言葉通り、1年目の1988年6月に一軍初登板。同年は4試合を投げて防御率2.08とまずまずの成績を残し、二軍でも15試合投げて6勝2敗、防御率2.78と結果を出した。

しかし、2年目の1989年は4月のプロ初先発の試合で3回3失点と打ち込まれ、以後二軍落ち。二軍では23試合、6勝4敗3セーブ、防御率2.66と結果を残したが、一軍での登板はこれっきりとなった。

3年目の1990年は1試合リリーフ登板し、3回1/3を投げて4失点と打ち込まれると、ダイエーへトレードで移籍(高島+杉本正と山内和宏のトレードだった)。

すると福岡の水が合ったか、21試合を投げて1勝3敗、防御率3.79と成績を上げた。

しかし4年目の1991年は18試合を投げて1勝0敗、防御率5.97といまひとつの結果に。

さらに翌1992年は一軍登板がなく、同年限りで選手を辞めて打撃投手へ転身。二軍では5試合を投げて1勝0敗、防御率1.74と好成績を残していたが、怪我か何かがあったのだろうか。

 

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