牧野塁-4球団を渡り歩いた速球派

牧野 塁

まきの・るい
生年月日:1974年7月17日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:182cm/80kg
ポジション:投手
出身  :神奈川県
ドラフト:1992年3位
経歴  : 山梨学院大附属-オリックスブルーウェーブ(1993~2003)-阪神タイガース(2004~2006)-東北楽天ゴールデンイーグルス(2006~2008)-広島東洋カープ(2008~2009)
持ち球 :ストレート、スライダー、カーブ、フォーク、たまにシュートも投げた。

概要

1992年にオリックスから3位指名を受け、オリックスへ入団。当時から150kmを超えるストレートを投げることで話題となっていた。

 

1年目から二軍で6試合、2勝0敗、防御率1.29、35回を投げて44奪三振の成績を残すと、一軍でも3試合に登板。防御率6.00と結果は残せなかったが、イニングと同数の三振を奪うなど、翌年以降に期待させた。

 

プロ初登板、初先発の映像を見ると、初回に150kmを投げていることがわかる。2回以降はスピードが落ちたものの、それでも140km台後半の球速が出ていた。

 

確認できた変化球はスライダー、カーブ、フォークの3種類。スライダーが130km台でフォークが120km台後半。カーブが120km台前半で、投げている球の多くがストレートだった。

 

だが、2年目は肘痛に苦しみ、3年目となる1995年も一軍で2試合を投げて防御率16.88と滅多打ちを食らう。同年は二軍では16試合を投げて防御率2.12と活躍を見せただけにもったいなかった。

 

また、この頃の映像を見ると、フォームが少し変わり、ストレートも140km台半ばと球速が落ちていた。

 

それ以降も二軍では結果を残すも一軍では残せないというシーズンが続き、フォームがスリークォーターになったり、サイドスローになったりと試行錯誤を繰り返していた。

 

それでも、1999年に主にリリーフで17試合に登板。この時期の映像を見ると二段モーション気味のフォームで、ストレートの最速は150kmだが、ほとんどは140km台半ば。変化球を投げるときに腕の振りが緩む傾向があった。

 

翌2000年は34試合に登板し、防御率3.14となかなかの成績。この年は再びサイドスローとなり、ストレートを中心にスライダーとフォークを投げていた。

 

だが、いい時期が長続きせず、2001年に右肘を手術。その影響か2002年は7試合の登板に終わった。すると2003年はまたしてもフォームを横手から上手へと戻し、先発、中継ぎで49試合に登板。この年はチームが歴史的な投壊を見せたこともあり、出番が増えた。

 

この年のオフにトレードで葛城育郎と共に阪神へ移籍(相手は谷中真二斉藤秀光)。リリーフで27試合に投げて防御率2.48と結果を残した。

 

しかし、2005年に2試合の登板に終わると、2006年途中に坂克彦とのトレードで楽天へ。投手不足に悩むチームで15試合に投げて防御率2.49と活躍を見せた。この頃はコントロールが以前より安定しており、好成績を残した要因もそこにあるかもしれない

 

2007年は18試合で防御率5.03と結果を残せず、翌2008年途中に広島へとトレード。この時の交換相手は佐竹健太だった。同年広島で6試合、翌2009年に14試合投げたあと、オフに戦力外に。トライアウトに参加したものの、獲得を表明する球団はなく、引退した。

 

引退後は打撃投手を務めたり、楽天の球団職員を務めたりと野球に関わり続け、四国アイランドリーグBCリーグでは監督にも就任した。

 

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