山本重政-野村克也と奇妙な縁で結ばれた

山本 重政

やまもと・しげまさ
生年月日:1944年3月1日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:179cm/78kg
ポジション:投手
出身  :兵庫県
ドラフト:なし
経歴  :社高校-立命館大学(中退)-近鉄バファローズ(1962~1969)-阪神タイガース(1970~1977)
持ち球 : ストレート、シュート、大小2種類のカーブ

概要

高校2年の時に、夏の予選大会、小野工戦で完全試合を達成。毎回奪三振を記録しながらの快挙だった。卒業後は立命館大学へ進学したが中退し、1962年、近鉄に入団。

1年目から25試合に登板すると、2年目はチーム最多となる35先発を記録する活躍を見せた。翌1964年も63登板と起用が増えたが、1965年は24試合に留まる。

さらに1966年は57登板、9先発の登板数でリーグ最多となる19敗を記録するなど完全な不調に陥った。

その後、登板数が減り、1969年、4登板に終わるとオフに自由契約となり阪神へ移籍。

リリーフでの登板を主とし、1977年まで細く長くプレーした。

ちなみに、1964年、野村克也パ・リーグ記録である44号本塁打を打った相手がこの山本。さらに翌1965年に野村が当時の日本記録である52号を放った投手も山本と、奇妙な縁で結ばれていた。

シュートと大小二種類のカーブを投げる投手だったようだ。  近鉄時代は速球派だったらしいが、はっきりとしたソースは未確認。

 

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