阿部八郎-9回ツーアウトまでノーヒットノーラン

阿部 八郎

あべ・はちろう
生年月日:1925年1月6日
打  :左投げ左打ち
身長/体重:5尺5寸(167cm) 体重:17貫(64kg)
ポジション:投手
出身  :福島県
ドラフト:なし
経歴  :石川中学-福島日東紡績-阪急ブレーブス(1949~1958)-西鉄ライオンズ(1959) 
持ち球 :ストレート、シュート、カーブ

概要

福島日東紡績ではエースとして活躍。その後、1949年に阪急へ入団した。

1951年には156三振を奪い、リーグ最多奪三振を記録する活躍を見せるが、白星には恵まれず12勝14敗と負け越し。この頃は天保義夫と共に阪急の左右エースとして活躍していた。

1952年は怪我(胸部疾患)で全休するが、1953年に復帰し、1955年、1956年は勝ち越す活躍を見せる。だが、1957年、1958年は6勝8敗に終わり、1959年に西鉄へと移籍。ここではリリーフを中心に、28試合に登板したがこの年限りで退団した。

阿部の名前は、九回二死までノーヒットノーランだった選手一覧などでよく見かける。 1950年7月20日日生球場での近鉄戦でのことだった。

ちなみに阿部は中西太を苦手としていたようで、得意のシュートも効かなかったようだ。中西には4本の本塁打を打たれている。

投手としての武器は伸びのある直球とシュート。カーブも投げた。

 

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