有村家斉-38歳でプロ野球入団

有村 家斉

ありむら・いえなり
生年月日:1914年7月24日
投打  :左投げ左打ち
身長/体重:5尺5寸(167cm) 18貫(67.5kg) 
ポジション:投手/内野手/外野手
出身  :鹿児島県
ドラフト:なし
経歴  :鹿児島中学-立教大学-満州鉄道-全鹿児島-大洋漁業(?)-大洋(1952~1954)

概要

大学時代は景浦将などと共に活躍。卒業した年も景浦と同じ1939年であった。

 

その後、様々なノンプロ球団で活躍。大洋漁業にいたということが、雑誌『ベースボールマガジン』には書かれているが、真偽のほどは不明。 都市対抗の下関で2本の本塁打を打っていたようなので、大洋あるいは大洋でなくとも下関の実業団にいたのは本当のようだ。 おそらくは、上に載せた以外にもノンプロ実業団に在籍していたと思われる。

 

その後、38歳という高齢で1952年に大洋ホエールズに入団。ノンプロでの実績があるだけに期待されていた。コントロールが良いという前評判だったが、通算成績を見るとプロではそれほど四球が少ないというわけではない。

 

都市対抗本塁打を打っていたように、投手でありながら打撃がよかったらしく、1年目にいきなり2本の本塁打を放っている。 代打としての出場もあったようだ。肝心の投手成績もそこそこの成績を残すことができたが、これが限界だったか。

 

2年目もそこそこの成績を残すが前年よりも成績は悪化。

 

3年目は40代での登板を果たすが、4月22日に5番ファーストでスタメン出場したあとは、5月2日に先発登板したのみで以降は野手転向することになる。 最初はファーストでの出場が中心だったが、途中からは外野としての出場が増え、ライトのポジションを前回紹介した椙本勝と争った。

 

だが、そのスタメン争いでは椙本に敗れる形となり、この年限りで現役を引退。あくまでも「投手としては」打撃がよいレベルだった有村が野手一本で勝負するのは厳しかったのだろうか。打率.201、本塁打0という成績に終わっている。

 

こうして成績だけを見るとたいしたものではないが、これを1950年代に38~40歳の選手が残したものであると考えるとなかなかにすごい。 若い頃にプロ入りしていたらきっとこれ以上の成績を残していたのだろう。

 

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