寺村 友和
てらむら・ともかず
生年月日:1974年4月22日
投打:右投げ右打ち
身長/体重:180cm 87kg
ポジション:投手
出身 :千葉県
ドラフト:1997年2位
経歴 :千葉商業-本田技研-千葉ロッテマリーンズ(1997~2000)-ヤクルトスワローズ(2001~2002)-大阪近鉄バファローズ(2003)-誠泰コブラズ(2005)
持ち球 :ストレート(140km台)、スライダー、シュート、シンカー、晩年はフォークも
※EとWは二軍成績
概要
1997年ドラフト2位で本田技研からロッテに入団。中学生の頃所属していた「千葉ジャガーズ」では高橋由伸とチームメイトだった。
入団当初はかなりコントロールが悪い投手だったという。
入団1年目は登板がなかったものの、コントロール矯正のためか、2年目からはサイド気味の力感あふれるスリークォーターにフォームを変更。そのおかげか、10試合に登板することができた。
残されているこの頃の映像を見ていると、ストレートの球速はだいたいが140km前半でMAXが148km。ストレートの平均球速を出してみると142kmだった。
また、投げているボールの多くがストレートでその間にスライダー、シュート、シンカーが織り交ざっている。スライダーは120km後半~130km前半、シュートが120km~130km後半、シンカーが110km~120km前半ぐらいの球速帯だった。
だが、翌年1試合のみの登板に終わるとオフに山崎貴弘とのトレードでヤクルトに移籍。
二軍の成績を見るとわかるが、やたらと被本塁打数が多い。制球が悪く球が高めに浮いたことが被弾の原因だろうか。
奪三振は多いが、この制球難が寺村の大成を拒んだかもしれない。
ヤクルト移籍後は二軍成績こそよくなかったものの、球の力があるために短いイニングでなら行けるという理由で一軍に抜擢されると、初勝利を経験するなど活躍。19試合のみだが、主にリリーフでチームの優勝に貢献した。
しかし翌年、17試合の登板に終わると近鉄に金銭トレードで移籍。
この頃になるとフォークボールも投げていたようだ。 2003年、近鉄での登板が3試合に終わるとオフに自由契約。
その後は米国でトライアウトを受け、1年間浪人したあと2005年に台湾・誠泰コブラズに入団。だが、ここもすぐに退団した。
ちなみに現役時代は登板数の割には珍プレーに縁のある選手で、グラブにボールがはさまって抜けなくなったために、グラブごと一塁手へトスをしたり、投げた後にマウンドで転んでしまうなどの映像が「好プレー珍プレー」特集で流されていた。
【1997年 ロッテ指名選手一覧】
1位:渡辺正人 2位:寺村友和 3位:藤田宗一 4位:礒恒之 5位:於保浩己 6位:小林亮寛 7位:白鳥正樹