数年おきに活躍を見せた-横田久則

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横田 久則

よこた・ひさのり
生年月日:1967年9月8日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:185cm/80kg
ポジション:投手
出身  :和歌山県
ドラフト:1985年ドラフト6位 経歴  :那賀高校-西武ライオンズ(1986~2000)-千葉ロッテマリーンズ(2001)-阪神タイガース(2002)
持ち球 :ストレート、SFF、カーブ

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概要

1985年にドラフト6位で西武へ入団。

入団後にアメリカ留学を経験して、SFF(フォーク)を投げるように。その甲斐あってか、2年目に完封勝利を含む5勝をあげる活躍を見せたが、その後は肩痛に苦しんだ。その肩痛が癒えて、再び一軍登板を果たしたシーズンが1991年。先発・中継ぎで24試合に登板し、防御率3.02の活躍を見せた。

この年は140km台前半の速球と120km台のフォークを投げており、当時の動画で確認出来る限りの最高球速は144km。カーブのような球も投げている。翌1992年の動画ではMAXが145kmになり、平均球速も少し上がった。 

しかし1991年以後は、また怪我などが原因で登板減。それでも1995年には17試合に先発登板して7敗するものの6勝するなど、活躍の兆しを見せた。

この頃は怪我のせいか球速が落ち、130km後半の球が多くなった。あとは、フォークとカーブを投げている。

1996年、1997年は成績は悪かったが、1998年に復調。日本シリーズでも敗戦投手にはなったものの、第5戦で投げた。

2000年に登板が無く自由契約になると、テストでロッテに入団。
しかしわずか6試合の登板に留まり、ロッテも1年限りで解雇されると、翌2002年は阪神へ。ここも1年で退団すると、翌年は台湾の兄弟エレファンツへと移籍した。

 

兄弟では1年目から16勝を挙げて最多勝に輝くなど活躍を見せたが、翌年は9勝8敗と成績が落ち着き、オフに現役を引退。その後は、富山サンダーバーズのコーチ、監督を務め、西武で二軍投手コーチや二軍監督を経てファームディレクターにも就任した。

1991年以降の怪我が原因でフォークを主体とする技巧派に転身した投手と見るべきか。また、フォークは空振りを奪うためのものとストライクをとるためのもの、二種類を投げ分けていたようだ。 

 

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